数十年前にヒットした「ディスタンス」という曲は、平和で調和のとれた世界を夢見ています。

その歌は「遠いところから神様が見てくれている」と語ります。そのとおり、神は私たちを見ておられます。けれども、遠くからではありません。神は今、あなたのいるその部屋に、あなたとともにおられ、無限の愛を込めて、あなたをじっと見つめておられます。

修道院の厨房で長年、皿やなべを洗ったり、他の修道士のはき物を繕いながら深い霊性を育てた有名なブラザー・ローレンス(修道士)を思い出します。彼は、「できるだけ頻繁に神の礼拝者となり、神の神聖な臨在に心を定めます」と記しました。

これは、私たちの使命でもあります。それなのに、私たちはそれを忘れがちです。そこで、神のご臨在を再認識させるものを身近に置くのはどうでしょう。私は、十字架にかかられ、よみがえられたイエスが常に私のとなりにおられることを忘れないために、自分の机の上の棚に古い釘を打ち込みました。私たちのすべきことは「いつも私の前に主を置」くことです(詩16:8)。そうすれば、主は「世の終わりまで」(マタ28:20)私たちとともにおられ、「私たちひとりひとりから遠く離れてはおられ」ない(使17:27)と信じることができます。

忘れないということは、毎日折々に「いつも共にいる」と言ってくださったイエスの約束を思い起こし、「イエスさま、おはようございます」とか、「ありがとうございます」「助けてください!」「愛してます!」と言ったりするくらいの簡単なことなのかもしれません。