エリザベスの話は、感動的でした。彼女は、マサチューセッツであまりにも屈辱的な経験をしたので、居ても立ってもいられずニュージャージー行きのバスに飛び乗り、恥ずかしさから逃れようとしました。バスの中でも泣き続け、バスが停車したことにさえ気づきませんでした。後ろの席に座っていた知らない人が降車しようと通り過ぎましたが、突然立ち止まり、引き返してエリザベスのところへやってきました。そして、泣いている彼女に「これが必要かもしれないね」と言いながら、聖書を手渡しました。彼の言うとおりでした。けれども、エリザベスに必要なのは、聖書だけではありませんでした。それは、聖書が語るキリストでした。エリザベスは、見知らぬ人のささやかなあわれみの行為によって聖書を手にし、イエスの救いを受け取りました。

イエスは私たちの模範です。マタイ9章には、「…群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」と書かれています(36節)。イエスは、傷ついた人々の痛みや苦しみに気づかれただけでなく、弟子たちにチャレンジを与えられました。滅びゆく世の苦しみや欠乏に応答して、働く人を送り出してくださるように祈りなさいと言われました(38節)。

キリストの模範に従っていくなら、あわれみの心がわき起こり、羊飼いのいない人々の人生を変えてあげたいと行動せずにはいられなくなるでしょう。