アメリカには、「偉大な心の持ち主は考えを語り合い、標準的な心の持ち主はイベントや出来事を語り合い、小さい心の持ち主は人について語り合う」という格言があります。もちろん、尊敬しているのでその人のことを話す、ということはあります。しかし、この格言は私たちのイヤな面を指しています。既存のメディアやソーシャルメディアは絶え間なく情報を流していますが、その中には妥当なラインを超えた他人の個人情報が含まれていて、いや応なくそれを目にすることさえあります。
大波のように押し寄せる他人の事情が、私たちの話題となり、ゴシップが日常化しかねないというのは非常に悪い状況です。これは金持ちや著名人だけのことではありません。職場、教会、隣近所、または親族が、批判の的となり、すべきでなかった会話によって人々が傷つけられています。
どうすれば、他人を傷つける会話から抜け出せるでしょう。神が自分たちの会話を聞かれているということをよく認識するならば、それができるでしょう。神は私たちがより良くなるようにと期待されています。それを心に留めましょう。詩篇の作者は、「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように」と祈りました(詩19:14)。私たちも同じようにすべきです。神が喜ばれるのは、人についてのどんな話でしょう。その話をするなら、神を尊んだことになります。普段の話を通して、神に栄誉を帰することができます。
毒舌を吐くよりは、黙っているほうが良い。
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