飛行機が着陸態勢に入ると、客室乗務員が到着案内をしました。今日1,000回目のアナウンスかと思うほど、心の込もっていない疲れた声です。着陸後の段取りを長々と述べてから、その疲れて乾いた一本調子のまま「素晴らしい一日を」と言ってマイクを置きました。その声のトーンと声が発した言葉は、あまりにもかけ離れていました。彼女は「素晴らしい」と言ったのですが、その声から素晴らしさは、みじんも感じられませんでした。

私たちも時として、同じではないでしょうか。信仰を、いつもどおり、決まりきった作業、退屈、無感動…のように扱ってしまってはいないでしょうか。私たちはキリストを通して生ける神の家族にしていただいたのに、しばしばこの特権のすごさや素晴らしい現実を、意識せずに過ごしてしまいます。

ヨブは自分の苦しみについて神に疑問をぶつけましたが、神はそれにまさる大きな質問をなさいました。するとヨブは、創造主である神と、神の被造物の素晴らしい不思議に目を留めざるをえなくなり、へりくだって答えました。「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました」(ヨブ42:3)。

神の素晴らしさが私の心を捉えてくださるように、私は祈ります。神の子どもにされる…何と素晴らしい現実でしょう。