息子を車で学校に迎えに行って帰る途中、雪が降り出しました。白く綿花のようにふわふわした雪が、どんどん落ちてきます。車の流れは悪くなり、結局、渋滞になって身動きがとれなくなりました。車の中から見ていると、景色が変わっていきます。建物の尖った輪郭は、少しずつ丸みを帯びていき、黒い土の表面や沿道の木々、周りの車は雪化粧をしていきました。

雪が降り積もっていく様子は、私に霊的な真理を思い出させてくれました。雪が景色をおおったように、神の恵みは、私たちの罪をおおいます。おおうだけではなく、消し去ってくれます。神は預言者イザヤを通して、次のように迫られました。「さあ、来たれ。論じ合おう。…たといあなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」(イザ1:18)。神がこう言われたとき、神の子どもたちは、罪が引き起こした悲痛な問題を抱えていました。神は彼らの状態を、打たれた身体の傷に例えて「傷と、打ち傷と、打たれた生傷。絞り出してももらえず、包んでももらえず、油で和らげてももらえない」と言われました(6節)。

彼らの罪はひどいものでしたが、神はなおも彼らを慈しもうとされました。私たちは神の子どもなので、神が同じようにしてくださると確信できます。私たちは罪を犯し人生に汚点を残しますが、それを認めて悔い改めるなら赦されます。聖書に 「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです」(エペ1:7 新共同訳)と記されているとおりです。