若いお母さんが2歳と4歳の娘をつれて飛行機に乗っていました。彼女は娘たちが他の乗客のじゃまをしないように、いろんなおもちゃで気を引こうとしていました。そのとき、パイロットがアナウンスを始めました。パイロットの声がスピーカーから流れると、年少の女の子は自分の手を止めて頭をさげました。そして、アナウンスが終わると、「アーメン」とささやきました。たぶん彼女は、それが祈りだと思ったのでしょう。最近自然災害があったので、そのために祈っていると思ったのかもしれません。

私もこの少女のように、心をすばやく祈りに向けたいと思います。詩篇の作者ダビデは、そのような心の持ち主だと言ってよいでしょう。それを示唆するのが詩篇27篇の一文です。彼は、「悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき」(2節)、「主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます」(8節)と言ったのです。ダビデは、自分がサウロに追われていたとき(Ⅰサム21:10)、もしくは、息子アブシャロムから逃げていたとき(Ⅱサム15:13-14)を思い出して、この詩篇を記したと考える人たちがいます。神に祈り、神に頼ることがダビデの思いの中心にあります。彼は、神が避難場所であると知っていました(詩27:4-5)。

私たちにも、避難できる聖なる場所が必要です。今日の個所をはじめ、その他の詩篇を読んだり、祈ったりすることで、父なる神とさらに親しく交われるでしょう。神が私たちの聖所になると、ためらわず主に祈って心を向けるようになります。