モーセはイスラエルの全会衆を集合させ、みんなで幕屋を作り始めようと言い、ベツァルエルには、装飾を作る仕事をするようにと告げました。彼が青銅の洗盤を作るときには、大切な自分の青銅の鏡を差し出すように言われた女性たちがいた、と聖書は記しています(38:8)。彼女たちは、神の臨在が宿る場所のために、自分たちの鏡を手放しました。
自分の「鏡」を差し出すのは、私たちにとっては難しいことです。実際、私たちは鏡を捨てるように求められているわけではありませんが、鏡に映る自分ばかりを見るのは健全でないことに気づかされます。そんなことをしていると、自分のことばかり考えて、人のことはなおざりになってしまいます。
自分の不完全さにこだわらず、不完全でもありのままの自分を愛してくださる神を思うならば、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧み」ることができるでしょう(ピリ2:4)。
アウグスティヌスは、人は自分を愛することで道に迷うが、他人を愛することで見つけ出されると語りました。言い換えるなら、自分を整えることに精出すのではなく、愛をもって、人に心を開き、人生をささげ、自分自身を差し出すことが、幸せの秘訣です。
天のお父さま、今日、自分を思う以上に人を思いやることができますように。人の必要を知ったときに、まず自分のことを全部してからと思うことがありませんように。
人にきちんと向き合っている心は、自分のことで精一杯にはならない。