私たち夫婦には、それぞれ100歳を超える祖母がいます。祖母たちや、その友人たちと話をすると、ある共通点に気づきます。それは、懐かしそうに苦労話をすることです。大恐慌や第二次世界大戦、暴風雪、屋外トイレ、そして古いパンと缶スープばかり食べていた貧乏な大学生活、といった苦しい体験を、懐かしむように語ります。

逆説的ですが、困難は信仰を養ったり、絆を強めるのかもしれません。このような様子を見ると、神に関する不思議が少し分かるように思います。つまり、信仰とは結局のところ、信頼するか、しないかでしょう。もし、私が信仰の堅い巌の上に立つならば(詩18:2)、最悪の状況になっても、神と私の信頼関係にひびが入ることはありません。

揺るぎない信仰は、現状がどうであれ、私に神の支配を信じさせてくれます。例えば、自分には何の価値もないと感じたとしても、真実は違います。いつくしみ深い神にとって、私は大切な存在です。また、永遠につづく痛みは無く、最後に勝利する悪もありません。

揺るぎない信仰は、神の御子の死という史上最悪の出来事ですら、それが最高の瞬間、すなわち主のよみがえりと死に対する大勝利の前ぶれであることを見て取ります。