息子のことで本当に大変だったときに、礼拝後に私をつかまえて、私と息子のために毎日祈っていると言ってくれた人がいました。彼は、すごく申し訳ない気がしていると言います。なぜかと聞くと、私のように苦しむことがなかったから、と言いました。「うちの子どもは、割とすんなり言うことを聞くんだ。でもそれは、親の信仰や育て方のせいじゃない。だって子どもは結局、自分で自分の道を選ぶのだから」と言いました。
私は胸が熱くなりました。彼の思いやりは、神からの贈り物でした。神は私の苦しみをご存じだと再確認させてくれました。
神ほど放蕩息子を持った苦しみを理解できるお方はありません。ルカの福音書15章の放蕩息子の話は、私たちの話であり、神の話です。イエスはすべての罪人のために、この話をされました。すべての人は天の父の家に戻って、その中に温かい関係があることを発見しなくてはなりません。
イエスは人の姿で現れた神です。思いやりに満ちて私たちを見つめておられます。神は私たちに駆け寄られ、両腕を広げて抱きしめられます。悔い改めた罪人が帰還すると、歓迎の口づけをしてくださいます(20節)。
神は、門扉に灯りをともすだけでなく、外に立って、遠くを眺め、じっと待ち、家に戻るよう呼びかけておられます。
主よ、今日もまた祈ります。どうか、道を逸れていった 私の子どもが家に戻ってきますように。
James Banks氏は、Discovery House社出版 「Prayers for Prodigals(放蕩息子のための祈り)」の著者です。
私たちの愛する者は、私たちの警告に心を閉ざし、説得に反対し、言葉に耳を貸さず、私たちを嫌うかもしれない。しかし、私たちの祈りに対して、彼らはまったく無力だ。―J. SIDLOW BAXTER