月別: 2016年1月

神さま、聴いている?

アルコール依存症の夫を持つクリスチャンの女性が「神は私の祈りを聴いておられない、と感じるときがあります」と言いました。多くのクリスチャンが彼女に共感します。この女性は18年間、夫が変えられるように祈っていますが、まだ何も起こっていません。神に良いもの、つまり、神の栄光を表すものを再三祈り求めているのに、それが答えられないとき、私たちはどう考えるべきなのでしょう。神は、祈りを聴いておられるのでしょうか。それとも、聞こえていないのでしょうか。

主のよくしてくださったこと

まだ満たされていない必要を求めるあまり、今あるものを見過ごしてしまうことがよくあります。教会の聖歌隊が詩篇103篇を基にした賛美をしたとき、そのことを再確認しました。この詩篇は、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と呼びかけます(2節)。神は、赦し、いやし、贖い、良いものを与えて、新しくしてくださいます(4-5節)。この真実を忘れることなどできないはずなのに、差し迫った必要や度々の失敗、また、手に余る状況にさらされると、私たちはそのことを忘れがちです。

神は返事をなさる

大好きな韓流スターのツイッターを見つけたので、喜んでメッセージを送りました。返信の可能性が低いことは分かっていました。彼女のような有名人は毎日、膨大な量のメールをもらうのですから。でも、やっぱり期待しました。もちろん返事はありません。

今年かもしれない

父は牧師で、新年最初の日曜日には、キリストの再臨のメッセージをしました。よく引用したのは、テサロニケ人への手紙第一4章です。その礼拝説教の要点はいつも同じで、「今年がイエス再臨の年かもしれません。あなたは主イエスに会う準備ができていますか」でした。「この話が本当なら、自分はイエスといっしょに行けるだろうか」と考えながら、その話を聞いたときのことを覚えています。私は6歳で、自分の両親は天国へ行くと確信していました。そして、自分も行きたいと思っていました。それで、父が帰宅すると、どうすれば絶対に大丈夫なのかと尋ねました。父は聖書を開いて、いくつかのみことばを読んでくれ、私には救い主が必要だと言いました。自分は罪を犯す、ということを納得するのに時間はかかりませんでした。それでその日、父に導かれてキリストを信じました。このときのことを心から父に感謝しています。救いの真理を、私の心に植えてくれたからです。