外国で暮らしている私たちの家にしばらく滞在して帰国の途につく両親に「さよなら」と手を振っていると、幼い娘が泣き出しました。「行かないで!」と泣く娘をなだめていると、夫は「可愛そうだけど、これは愛の代償だ」と言いました。

確かにつらい別れはありますが、十字架上のイエスの苦しみは、究極の離別でした。イザヤの預言が700年経って成就し、人間であり神であるお方が多くの人の罪を負われました(イザ53:12)。イザヤ書53章には、イエスが苦難のしもべであることを示す多くのみことばがあります。イエスは、私たちのそむきの罪のために刺し通されたと預言されたように(5節)、十字架に釘で付けられ、兵士のひとりに槍でわき腹を突き刺されました(ヨハ19:34)。また、イエスの打ち傷によって、私たちは癒されたのです(イザ53:5)。

イエスは、愛ゆえに地上に来られましたが、赤ん坊として来られました。イエスは、律法学者や群衆、また兵士たちの迫害を受けられました。そして私たちの身代わりとして、神への完全ないけにえとして苦しまれ、死なれました。すべては愛のゆえです。私たちは、イエスの愛の代償があって生かされています。