カナダの地下鉄で実際に起こった出来ごとです。通勤途上の乗客たちは一触即発の事態が感動的に収拾するのを目撃しました。恐ろしいほどの大声で悪態をついていた青年に初老の女性が優しく手を差し伸べ、彼を親切に取り扱ったためです。その青年は女性の優しさに泣き崩れ、「ありがとう、おばあちゃん」と言って立ち去りました。この女性は自分も怖かったそうですが、インタビューに応えて次のように述べました。「私自身、母親です。あの青年には優しく触れてくれる人が必要でした。」彼女は知らん振りをすることもできました。しかしそうはせず、リスクがあっても愛を示すことを選びました。
イエスはこのような思いやりの必要性をよく理解しておられます。皆に忌み嫌われる皮膚病になった男性が、必死に癒しを求めて来たとき、周りの人々のように、恐れたり、躊躇したりなさいませんでした。またイエスは、けがれたと言って人を裁く以外に何もできない宗教指導者たちのようでもありませんでした(レビ13章)。イエスは、長い間、人が指一本触れなかったその人の身体に手を置き、彼の病気を癒されました。
イエスはどんな規則も道徳も与えることのできないもの、すなわち、神の手と神の心を差し出してくださいます。
父なる神よ、必死に求めるあの人の中に、自分を、また、互いを 見ることができますように。また、その人に触れられたイエスの あわれみの目の中にも、自分と互いを見ることができますように。
イエスに触れてもらえないほどの、乱れやけがれはない。