詩人サム・ウォルター・フォス(1858-1911)は「道路わきの家」と題した詩で「道路わきの家に住ませてもらえるなら、皆の友人になりたい」と書きました。私も同感です。私は、人にたたかれ、不当に扱われ、傷ついた旅人、幻滅という人生の重荷を負っている旅人の友となり、彼らが元気を回復し爽やかに旅をつづけて行けるように、温かくもてなしてあげたいのです。私は、彼らの問題を解決することも、彼らの弱点を直すこともできません。しかし、彼らを祝福することはできるはずです。

シャレムの王で祭司でもあるメルキゼデクは、戦いから疲れて戻ってきたアブラムを祝福しました(創14章)。祝福とは軽い行いではありません。私たちは祝福の源である神のもとに人々を連れて行くことで、彼らを祝福します。メルキゼデクも「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より」(19節)と言って、アブラムを祝福しました。

私たちはともに祈ることでその人を祝福することができます。また、恵みの御座に連れだって行き、折にかなった助けを求めることができます(ヘブ4:16)。その人の置かれた状況を変えられなくても、神を示すことはできます。それが真の友のすることです。