最近、もうすぐ二歳になる孫のモリアを一晩預かりました。ひとりで泊まりに来るのは初めてです。朝から晩まで付きっきりで世話をやき、いっしょに遊んでやりました。そして翌日、親元に送り届けてバイバイすると、戸口に置いてあったお泊まりバッグをつかんで私についてきました。
おむつをつけた孫が左右の違うサンダルをひっかけて追いかけて来たのを思い出すたびに、笑みがこぼれます。もっとかまってもらいたくてついて行こうとしたのです。
モリアは自分が愛されていることを知っています。私たちの孫に対する愛情は、神がご自分の子どもたちに抱かれる大きな愛の縮小版です。
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう」(Ⅰヨハ3:1)と聖書は語ります。
私たちは救い主イエスを信じて神の子どもになり、キリストが自らの死をもって惜しみなく注いでくださった愛を次第に理解するようになります(16節)。すると、自分の言動を通して神に喜んでいただきたいと願うようになります。また、主を愛し、主との時間を過ごすことを慕い求めるようになります(16節)。
愛する神さま、私たちを愛するがゆえに、ご自分のいのちを捨て、よみがえり、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。出会う人すべてにとって、あなたの愛を彷彿させる見本になれますように。
私たちに注がれる父なる神の愛はなんと深いことだろう。