高校2年生の時のある金曜日、アルバイト先のボウリング場で夜遅くまで汚れたフロアをモップがけしました。清掃スタッフが急に病気で休んだからです。彼の欠勤について上司に連絡しませんでした。掃除ができていれば問題は無いし、彼を驚かせたかったからです。ところが大問題が起きました。翌朝、扉を開けるとボウリング場は水浸しで、ピンやスコアカード、トイレットペーパーがぷかぷか浮いていました。私は前夜、水を出しっぱなしのまま帰ってしまったのです。しかし上司は怒るどころか「頑張ろうとしたんだね」と笑顔でハグしてくれました。思いがけないあわれみでした。

サウロはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコ近郊でイエスに会いました。そして、己の罪をイエスに突きつけられ目が見えなくなりました(使9:1-8)。サウロの目が再び見えるようになるためには、敬虔なクリスチャン、アナニヤの勇気とあわれみが必要でした(17節)。サウロもまた、思いがけないあわれみに救われました。

失敗したことは本人が一番よく知っています。そんな時に必要なのは、説教ではなくセカンドチャンスの希望です。渋い顔やきつい言葉は、希望の光をさえぎってしまいます。クリスチャンはアナニヤのように、誰かの人生を変えるあわれみを提供できる人にならなくてはなりません。