高校でフェンシングを始めた時、コーチは剣を突き出しながら、その攻撃に対する正しい防御のポジションを叫びました。彼の攻撃をかわすには、声に即座に反応しなければなりません。
この積極的に聞くという行為は、性の誘惑に関して、聖書の戒めを即座に受け入れるという行為を連想させます。パウロはコリント人への手紙第一6章18節で異教の神殿娼婦に誘惑される信徒を「不品行を避けなさい」と戒めています。私たちには状況に向き合って「しっかり立つ」(ガラ5:1、エペ6:11)べきときもありますが、この場合は、「逃げなさい」と聖書が命じています。声に即座に従えば、迷いません。少しでも妥協すれば壊滅的な敗北に至ります。下品な考え、見てはいけないサイト、既婚者が配偶者以外の異性とイチャイチャする…。こういうことは、私たちを不道徳にいざない、神との関係に距離を作ります。
私たちが誘惑から逃げ出すなら、神は避難場所をくださいます。イエスは私たちの罪を贖い十字架にかかられました。神はイエスの死を通して、私たちの過去が何であれ赦してくださり、希望と新しい人生をくださいます。自分の弱さを認めてイエスに逃げ込むなら、私たちは解放され、イエスの強さの内に生きていけます。
わが主イエスよ、あなたは愛ゆえに私たちのためにご自分をささげ十字架にかかってくださいました。あなたの御心に従います。私をあなたにおささげします。
神だけが、私たちの心の奥底の必要を満たしてくださり、たましいを満足させてくださる。