友人のチャドは、ワイオミング州で羊飼いを1年間しました。 「ヒツジは愚かだよ。自分の目の前にあるものしか食べないんだ。前の草を全部食べると、他の草地を探そうとはせず、草の無くなった土を食べちゃうんだ」と言います。
私たちは笑いましたが、聖書で人が羊になぞらえられていることを思わずにはいられません。私たちには羊飼いが必要ですが、誰でも良いわけではなく、親身に世話してくれる人が必要です。預言者エゼキエルは、バビロン捕囚の人々を悪い羊飼いに導かれた羊になぞらえました。イスラエルの指導者たちは、群れを養わずに力で抑え、自分の益に用いたので(エゼ34:3)、羊たちは野の獣の餌食にされてしまいました(5節)。
しかし、希望が失せたわけではありません。良い羊飼いである神は、悪い指導者から彼らを救うと約束されました。神は彼らを家に連れ戻し、豊かな牧場で憩わせると約束されました。神は傷ついた者を癒やし、失われた者を探し出されます(エゼ34:11-16)。神は野の獣を追い払ってくださるので、主の民は安全です(28節)。
神の羊たちは、優しく世話をされ、道を示される必要があります。私たちには緑の牧場に導いてくれる羊飼いがおられます(エゼ34:14)。何という祝福でしょう。
神よ、あなたの優しさを感謝します。あなたはよく世話を焼いてくださいます。私が自分では何が必要なのか分からない時でさえ、あなたはすべての必要を備えてくださいます。
あなたは自分の牧者の声に耳を傾けていますか。