家賃の支払いに困った親戚に援助を求められて、友人は重荷に感じたそうです。特に年末で、自分たちにも予期せぬ出費があったからです。それでも貯金を下ろしてお金を工面し、そうできることを、神に感謝しました。親戚の礼状には「今度も良くしてもらい、ありがとうございました。まるで、大ごとでは無いかのように寛大に引き受けてくださって…」と書かれていて、その言葉にも祝福されました。

しかし、神の目から見ると、助けることは大ごとです。断食をする一方でいさかいの絶えないイスラエルに対して、預言者イザヤは言いました。「しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか」(イザ58:6-7)。

そういう犠牲は神の光を照らすだけでなく自分の傷を癒すとイザヤは語ります(8節)。あの家族は、一年を通してどうやりくりすれば親戚を助けられるのかよく考えました。神は惜しみなく与える人に「あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる」(8節)と約束されます。神ご自身はどうでしょう。神は愛をもって、私たちにすべてをささげてくださいました。