アイオワ大学バスケットボール部のスター選手、ジョーダン・ボハノンは、チームの記録を塗り替えるという所で、わざとフリースローを外しました。なぜなら、1993年、連続34本のフリースローを達成した直後、自動車事故で亡くなった大先輩のクリス・ストリートの記録を大切にしたかったからです。ボハノンは、ストリートの名誉を選択しました。自分が勝つこと以上に大切なものがあると、強く感じていたのでしょう。

若い頃のダビデにも同じような価値観が見られます。彼は寄せ集めの兵士たちを連れて、洞窟に隠れていましたが、故郷ベツレヘムの水が飲みたいと切望しました。そこは恐ろしいペリシテ軍に占領されています(Ⅱサム23:14-15)。ところが、ダビデの3人の兵士が、敵の陣営を突き抜けて水を汲み、彼のもとに持ち帰るという驚くべき勇敢さを発揮したのです。にもかかわらず、ダビデは、その水を飲まずに「注いで主にささげ」、この水は「いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか」と述べました(Ⅱサム23:16-17)。

得した者を称賛しがちな世の中で、何と感動的な愛と犠牲でしょう。それは、名誉をはるかに超えた行為です。