ゆっくり進む溶岩流がパチパチと音を立てて木々を焼いていきます。住民が立ち尽くしていました。日頃「楽園」と呼ばれるハワイ島のプナ地区で、岩の裂け目から溶岩が流れ出し、この島が人には制御不能の噴火によって造られたことを再確認させました。
イスラエル人も昔、人には制御不能の神の力に遭遇しました。神の箱を奪還した祝賀パレードの最中、ひっくり返りそうになった神の箱を押さえた男性が、突然、死んだのです(Ⅱサム6:1-7)。この物語は、神が生かすか殺すか分からない気ままなお方だと思わせてしまうかもしれません。しかし、神はご自分を礼拝するために聖別された物の取り扱いについて既に教えておられます(民4章参照)。イスラエル人には、神に近づく特権がありましたが、聖なる神に軽々しく近づいてよいわけではありません。ヘブル人への手紙12章には、モーセが十戒をいただいた燃えるシナイ山を思わせるみことばがあります。人々は恐れました(18-21節)。
一方で「あなたがたは…新しい契約の仲介者イエス…に近づいています」(22-24節)とも書かれています。神の御子イエスは、人には制御できない恐ろしい力、しかし、いつくしみ深い天の父のみもとに行く道を、私たちに開いてくださいました。
神を畏れることに心せず、神の愛を語りがちではないでしょうか。神の品性を語る上で、その御力が重要な理由は何でしょう。
恐ろしいほど強い神に無限の愛で愛されているのは、何と素晴らしいことだろう。