アメリカ映画「フォレスト・ガンプ」(1995年日本公開)のフォレストは、走ることで有名になりました。この道の行き止まりまで、と思って始めたものが、結局、3年2ヶ月14日と16時間走りつづけました。自分で決めた目的地に着くと、次の目的地を定め、もう走る気がなくなるまで、アメリカをジグザグに横断したのです。何となく走りたいと感じたことがそもそもの動機でした。フォレストは語ります。「あの日、特に理由もなく、僕は、ちょっと走ろうと思った。」

フォレストの気まぐれな走りと対照的な走りが、使徒パウロの言葉です。彼は自分を見習って「賞を受けられるように走りなさい」とコリントの教会の人たちに勧めています(Ⅰコリ9:24)。徒競走の選手が節制するように、私たちも何らかの楽しみに「ノー」と言うように求められるかもしれません。自分の権利を主張しない選択によって、他の誰かに福音を届けることができるかもしれません。

この競走をともに走ろうと人々を招くことを己のゴールとして、自分の知性と感情を訓練するなら、私たちには究極のほうび、すなわち、神と永遠をともにすることが保証されています。神は勝利の栄冠をくださり、それは永遠に不滅です。神の力に頼り、神を表すことを目的に、人生を走り抜くなら、それが得られるのです。それこそが、私たちの走る動機です。