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収穫を待つ

ジョアン・シェトラーとアン・フェッツァーは、1962年、バスと徒歩でフィリピンの険しい山岳地帯に入りました。未伝の地に福音を届けるために厳しい旅をしたのです。彼女たちは、バランガオ族の村で5年間、彼らの母語に聖書を翻訳しましたが、村人たちは無関心でした。しかし、物資搬入のための簡素な滑走路の建設には協力しました。ある日、彼らが「異世界からの魔法」と呼んでいた飛行機が舞い降り、村の重病の妊婦を遠方の診療所に運び、後日、回復した女性と健康な赤ん坊を乗せて戻ってきました。すると人々は、自分たちに説かれてきた「この神」について尋ね始めたのです。そして間もなく、キリストを信じる人であふれかえる教会が設立されました。

地の果てまで

キリバスは、33の島々が、赤道をまたいで太平洋に点在する国です。南北のみならず東西半球にもまたがる唯一の国。世界で最もアクセスしにくい国の一つでもあります。

アミナの神

アミナは、キリスト教が違法の国でイエスを信じ、弟に分かち合いましたが、彼は拒絶しました。その後、彼は重篤な肺の病気になり、一人きりの暗い病室で息が苦しくなりました。彼は、イエスを神の御子と受け入れる覚悟もなく、人に聞かれることを恐れてイエスの名を口にすることもできません。それでこう叫びました。「アミナの神よ、今すぐ助けてください!」すると突然、呼吸が楽になり、部屋が不思議に明るくなりました。この時、彼のイエスを信じる旅が始まったのです。

たましいの糧―イエス

私が育ったアフリカ系アメリカ人の家庭の食卓には「ソウルフード」(「魂の食べ物」の意)が欠かせませんでした。「ソウル」という言葉は、1960年代中頃から使われ始めましたが、当初は、私たちの文化背景を表す言葉でした。「ソウルフード」のメニューは、フライドチキン、マカロニチーズ、コーンブレッドなどです。食後のデザートは、時折のぜいたくで、ピーチコブラーは私の大好物でした。

キリストの光となる

コロナ感染症の大流行を受けて、感染予防の観点から世界中の学校が一斉休校しました。校舎や校庭は空っぽになりました。教師たちは、この現状に苦悩しながらも、生徒を思う気持ちと、この困難を共に乗り越えていける方法を模索しました。そして、米国の多くの学校は、「光となる」と題して誰もいない校庭に明かりをともし、これは「挑戦」だとして、SNSを通じて他校にも呼びかけました。

神を真剣に求める代価

某国の22人のキリスト者が、外国から来た牧師と御言葉を学ぶために半日の道のりを経て極秘に集合しました。当局に見つかれば、3年間の刑務所暮らしです。22人のうち18人は、すでに投獄された経験があります。

神の愛の業

私の町の植物園は、郡の拘置所の隣にありますが、友人のジョアンは、その両方に行くのが好きだと言っていました。植物園では、ベンチに座り、自分を愛して人生を導いてくださった神に思いを巡らし、拘置所では、神から遠く離れ、何度も間違った選択をした自分を、神が救ってくださった話を、拘留中の人たちにするのです。彼女はよく私に自分の夢を熱く語りました。それは、いつか拘置所の女性たち皆が、神の愛を理解し体験するようになることでした。

イエスを伝えよう

アンデスの細い山道を、バスがぐんぐん登っていきます。チームの面々は、楽しそうに歌ったり笑ったりしていましたが、私は不安な気持ちで車窓を見つめていました。ガードレールもない断崖絶壁の道を、上へ上へと登り続けているのです。この短期宣教チームは、エクアドルのこんなへき地になぜ行くのだろう。そんな疑問がふと頭をかすめるや否や、私は悟りました。そこにいる方々のために死ぬ目的で、神が御子を地上に送られたのなら、神はこの方々を強く愛しておられるはずだ、と。その愛を伝えるためならば、この怖さなど乗り越えられるはずだ、と思いました。

イゾベルの信仰

イゾベルは、親の信仰には関わりたくありませんでした。大学では自らを不可知論者と称し、神なしで生きることを望んでいました。しかし、失恋で落ち込み、負のスパイラルに陥りました。命を絶ちたいとまで思ったのです。その絶望の淵で、両親の信仰を思いました。そして、葛藤の末、ついにイエスの救いを受け入れました。