数年来の干ばつの後の山火事を、神のなさったことと考えた人がいました。この不穏な噂は、ニュース番組が「聖なる火」と呼んだことで増長しました。カリフォルニア南部になじみの無い人は、その場所がホーリージムキャニオン(聖なるジムの渓谷)と呼ばれていると知らなかったのです。聖なるジムとは19世紀の養蜂家で、あまりに不敬虔で険悪だったので、皮肉を込めてそう呼ばれていました。

バプテスマのヨハネも「聖霊と火」と語りました(ルカ3:16)。たぶん、預言者マラキが述べた製錬する火だと考えていたことでしょう(3:1-3、4:1)。しかし、神の御霊はイエスを信じる人たちの上に、風や火のように到来しました(使2:1-4)。そこで初めて、マラキとヨハネの預言が何であるかが分かったのです。

ヨハネが預言していた火は、想像と違いました。それは神の真実な御業で、キリスト者を大胆にして、人々の予想と異なる救い主や聖なる炎を宣べ伝えさせました。努力だけではどうにもならないことを人に悟らせ、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制という御霊の実を心の内に実らせます(ガラ5:22-23参照)。これは神の御業です。神は私たちの人生に働きかけたいと願っておられます。