灰色の空に冬枯れの木々、薄っすら積もった雪の下にのぞく茶色い草。今日もうっとうしい真冬の景色が広がっていると思っていたある朝、珍しいことが起きました。霜が降りて、すべてが氷の結晶でおおわれていました。暗く生命感のない風景は、太陽の光でまばゆく輝く美しい景色に変わっていました。

信仰を踏まえず問題を見てしまうことがあります。今日も恐れや痛み、絶望を味わうと思って朝を迎え、いつもと違うことが起こる可能性を想像しません。神の力による回復、成長、勝利を予測することはありません。しかし聖書は、神こそが苦難の中で私たちを助けてくださると語ります。神は傷ついた心を癒し、とらわれから解放してくださいます。聖書は嘆く人々を慰め、「灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を」くださいます(イザ61:3)。

神は単に元気をくれるのではありません。試練の中にあって、神ご自身が希望です。結局、天国に行くまでは解決しないとしても、神はともにおられ、励まし、ご臨在を垣間見せてくださいます。聖アウグスティヌスは「深い傷の中で神の栄光を仰ぎ見て、目がくらむほどでした」と語りました。各々の人生を歩む中で、この言葉を理解できますように。