ある法律に関して国を二分する論議が起こり、クリスチャンの意見も分かれました。そしてお互いを「心が狭い」とか「信仰の妥協」と非難しました。神の家族が意見の違いで分裂し傷つくことがあります。私も聖書の教えを生活に適用させることで意見の違う人から揶揄されたことがあります。しかし、反対意見の人を傷つけたことが、私にもあったでしょう。

たぶん問題は、違う意見そのものや、言い方ですらなく、その裏に隠れた本音でしょう。つまり、単に意見に反対しているのか、それとも反対意見の人たちをやっつけるべきだと思っているかです。

聖書的でない点を指摘したり、自分の信念を説明したりすべき時もあります。そのときは、謙遜と柔和、寛容と愛をもつようにと、エペソ人への手紙4章2~6節は諭します。何よりも、御霊の一致を保つために努力を惜しまないことが大切です(3節)。

解決しない論争があります。しかし、神のみことばは、私たちの目標は、相手をやっつけることではなく、常に互いの徳を養うことだと教えます(29節)。議論に勝つために不遜な態度を取りますか。それとも、同じお方を主と仰いでいることを忘れず、主の真実を主の時に主の方法で理解させていただこうと努めていますか(4-6節)。