信仰のために投獄されている宣教師が、面会を許された妻に「人々はまだ私のために祈っていますか」といつも尋ねます。彼の命は、劣悪な環境や周囲の敵意により、常に危険にさらされているので、世界中のキリスト者は熱心に祈っています。彼は、神が祈りを力強く用いられると信じているので、信徒の祈りが続いていることを確かめたいのです。

私たちの祈り、特に信仰のために迫害されている人々をとりなす祈りは、大きな贈り物です。使徒パウロは、耐えがたい圧迫を受けて、命さえも危うくなったが、神に救い出されたと、コリントの信徒たちに語りました(Ⅱコリ1:8-10)。その際、神が用いられた道具が、とりなしの祈りであり、「また将来も…救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう」(10、11節)と語っています。

神は私たちの祈りを通して働き、ご自分の民の中に偉大な御業を成し遂げられます。愛を実践する最善の方法のひとつは祈りです。なぜなら、神だけに可能な救いの扉を開くからです。誰かのために祈る時、あなたはその人を神の力で愛しています。神に勝るお方はなく、神の愛より強い愛もありません。