トムは脳梗塞の影響で失語症になり、長いリハビリになるという話でしたが、数週間後の礼拝に現れ、私たちを喜ばせてくれました。その上、立ち上がって話そうとしたので、驚きました。彼の言葉は不明瞭でたどたどしく、繰り返しや言い間違いもありました。しかし、明らかだったのは、神をほめたたえていたということです。心の痛みと祝福を同時に感じる瞬間がありますが、これはそのひとつでした。
クリスマスの前触れの物語の中に、話す力を失った人が登場します。祭司ザカリヤです。主の使いが現れ、偉大な預言者の父になると告げましたが、夫婦ともに老年のため、にわかには信じられません。すると「これらのことが起こる日」まで、口がきけなくなりました(ルカ1:11-20)。しかし、奇跡の息子に名を付ける儀式の席で、再び言葉を発したのです。
彼はまず神を賛美しました(ルカ1:64)。そして「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし…」(68節)と預言しました。
トムは、ザカリヤのようです。話せるようになると、まず神をたたえました。話し、考える力の与え主に心を向けたのです。私たちも、どんなことが起こっても、そのようにありたいものです。
危機に見舞われたとき、あなたはどんな反応を示しますか。その苦境を切り抜けられた時、まず何を思いますか。どんな応答をしますか。
父よ、話す力をくださり感謝します。疑念が湧くとき、信仰を強めてください。みそばに近づき、あなたに誉れを帰するために、口にする言葉に注意を払うように助けてください。