幼い孫が「神さまがどこに住んでいるか知っているよ」と言いました。妻が「まあ、どこなの?」と尋ねると、「おばあちゃんの家の隣の森の中だよ」と答えました。なぜこんな考えが浮かんだのかしらと妻は言いましたが、私には分かります。散歩で森に行ったとき、神の姿は見えなくても、神の造られたものが見えるので、神がおられると分かると話したのです。私は水辺の砂地に足跡をつけ、「おじいちゃんが足跡を作っているのが見えるだろう。川や木、動物は、神さまの足跡だ。それが見えるので、神さまがおられると分かるんだよ」と語りました。

詩篇104篇の作者も、神の臨在の証拠は被造物にあると語って 「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています」(24節)と感嘆しました。ここで「知恵」と訳されているヘブル語は、匠の技を表す言葉として聖書に何度も登場します。大自然は神の手仕事で、神の臨在を宣言し、信じる人たちを賛美に駆り立てます。

詩篇104篇は「主をほめたたえよ」で始まり、そして終わります (1、35節)。赤ん坊の手も鷲の目も、神の作品です。私たちを取り巻く神の芸術作品は、このお方の完璧な技を語り告げます。それらすべてに感動し、神をほめたたえることができますように。