かつての奴隷たちが埋葬されたバージニア州のシェナンドー渓谷に、様々な人種のクリスチャンが集まり、アメリカ合衆国の長年の人種問題が何を意味するのか、手をつないで祈り求めました。すると突然、風が吹き、雨が降り出しました。リーダーが人種間の癒しを祈り求めると、雨はさらに激しくなりました。ビル・ヘイリーの10歳の娘は「神さまが泣いている」とささやきました。人々は、神が赦しと和解のために働いておられると信じました。
神はカルバリの十字架でも働いておられました。イエスが息を引き取られた後、地は揺れ動き、岩は裂け、墓が開きました(マタ27:51-52)。イエスが神の御子であることを否定する人もいましたが、見張り役の百人隊長の結論は違いました。警備の人たちは地震やすべての出来事を見て怯え、「この方はまことに神の子であった」(54節)と言ったのです。イエスの死に際し、神は主を信じる人々の罪を赦すために働いておられました。「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせな」かったと聖書は語ります(Ⅱコリ5:19)。私たちにとって、神に赦されたという確信を示すために、他者を赦す以上の方法があるでしょうか。
神の赦しを自分とは合わない人とどう分かち合ってきましたか。イエスの贖いによる神の赦しを、今日、まだ受け取っていないなら、躊躇する理由は何ですか。
父よ、感謝します。世を愛してイエスを送ってくださり、おかげで私も救われました。人を赦すとはどういうことか、生き方を通して示していけるように助けてください。