Category  |  罪の赦し

身代わりのイエス

裕福な20歳の若者が公道でカーレースをして歩行者をはねて死亡させました。3年の実刑判決を受けましたが、裁判に出廷し、懲役に服した男は、金で雇われた身代わりだったようです。その国では容姿の似た人を雇って服役逃れが行われることがあるのです。ひどい話です。

罪を認めて

かんではいけないと分かっているので、我が家の愛犬ウインストンは、ずる賢く「忍び足」で無防備に置かれた靴に近づきます。さりげなくぶらぶらと向かっていき、それをくわえます。そして、ゆっくりと外に出ていきます。誰にも見とがめられなければ……。

洗ってください

融雪剤のせいで車がひどく汚れたので洗車場に向かいましたが、多くの人が同じことをしたようです。そこは長蛇の列でした。しかし、待っただけのことはありました。車はピカピカ、長く待たせたおわびにと、代金は無料でした。

遠すぎない

ラジは少年時代にイエスを信じましたが、すぐに信仰を離れ、神と無縁の生活を送りました。ある時、やり直そうと教会に行きましたが、長年教会を離れていたととがめられただけでした。恥をかかされ、信仰を忘れた年月を後悔しました。そして、希望はもう無いかと思った時、シモン・ペテロの話を思い出しました(ルカ22:34、60-61)。イエスは、三度もご自分を否定したペテロを受け入れられたのです(ヨハ21:15-17)。

完全にきよめられる

お客さんが来るというので、夫婦で掃除をしました。私は台所のタイルの床にシミを見つけ、床に這いつくばって拭き取ろうとしました。ところが、1つのシミを消すと別のシミが目立つのです。私が落とした汚れは皆、他の汚れを目立たせるだけでした。突然、我が家の台所の床がひどく汚く感じました。どんなに頑張っても、決してきれいにならないことも分かりました。

主が共に歩まれる

ある聖歌隊が歌う「イエスは共に歩まれる」が、以前ヒットしましたが、その裏には物語がありました。薬物依存のリハビリを始めた時、ジャズ・ミュージシャンのカーティス・ランディがこのグループを立ち上げました。古い賛美歌に触発され、皆の希望となるように、患者仲間と曲を作りました。「私たちは全身全霊で歌いました。救ってください、薬物依存から抜け出させてくださいと、イエスにすがる思いで歌いました」と語る人や、歌っている時は慢性痛が和らいだと言う人などがいました。彼らは歌う時、解放を求めて必死に祈っていたのです。

悔い改めの報い

グレイディはちまたで「くず」と呼ばれ、車のナンバープレートにもそう記していました。そして中年の賭博師、詐欺師、不倫男にふさわしいあだ名だと自負していたのです。破産してお先真っ暗、神から遠く離れていました。しかしある晩、神の御霊にお前は罪人だと迫られたのです。彼は墓場まで持っていくつもりだった己の罪を告白し、イエスに赦しを乞いました。彼は妻に「俺は救われたと思うよ」と語りました。かつては40歳まで生きないだろうと思われていた人が、イエスを信じ、神に仕えて30年経ちました。ナンバープレートの装飾も「悔い改めよ」に変えました。

あなたに寄り添う神

脳腫瘍の手術で8歳のガブリエルの顔には目立つあざが残りました。怪物になった気分だという嘆きを聞いて、父のジョシュは一計を講じました。どれほど息子を愛しているかを示すために、自分の顔にあざを模したタトゥーを入れたのです。詩篇の作者ダビデによれば、神の愛は「父がその子をあわれむ」愛だと言います(13節)。彼は、神の愛を人になぞらえ、良い父が子々孫々を思いやるようだと語ります (17節)。天の父である神は、ご自分を畏れる人々を子をいつくしむように愛し、世話してくださいます。神は主の民の心に寄り添ってくださる情け深い父です。

心機一転

中華系の家族は世界のあちこちで旧正月を祝います。通常は1月の下旬から2月の中旬あたりで、親族が集まります。正月前には、大掃除をし、つけを支払い、元旦には新調した服を着ます。それは、過去を清算して新しい一年を始めることを意識させてくれます。