父の告別式では、彼が好きだった「祈りの園生(そのう)を」(新聖歌197番)を歌いました。「わが主はわれと歩み ささやき給いぬ 永遠までも汝は われのものぞと」という繰り返しは、父に、そして私に、喜びをくれました。

オースティン・マイルズは、1912年の春、ヨハネの福音書20章を読んだ後にこの曲を作りました。「その日、自分が場面に入り込んだように感じました。私はマリヤがイエスの前にひざまずき『ラボニ(先生)』と叫んだ、あの瞬間の静かな目撃者でした」と書いています。

マグダラのマリヤは、空になったイエスの墓のそばで泣いていると、ひとりの男が、なぜ泣いているのかと尋ねました。彼女は、園の管理人が話しかけたと思いましたが、そこにいた人は何と、復活されたイエスでした。マリヤの悲しみは喜びに変わり、弟子のところに走っていきました。そして「私は主にお目にかかりました」(18節)と言いました。

私たちもイエスがよみがえられたと確信しています。今は天の御国で御父とともにおられますが、私たちをひとりにはせず、聖霊をくださいました。キリストを信じる人の内には聖霊が住み、その聖霊によって、イエスのご臨在と、自分が主のものであることを確信します。