ずいぶん前のことですが、私たち夫婦とふたりの友人は、山道を下っていました。道は狭く曲がりくねっていて一方は崖で、反対側は登れそうもない斜面でした。角を曲がったところで、大きな熊を目撃しました。頭を左右に揺らし、ゆっくり息をしながらうろついています。私たちは風下にいたので、まだ気付かれていませんが、それも時間の問題です。

友人は「写真を撮らなくちゃ」と言って、カメラを出そうとしました。しかし、私は「いや、退散すべきだ」と返答しました。そして、そっと後ずさりし、熊の視界の外に出るやいなや一目散に走りました。

金持ちになりたいという感情に対しても、似たような危険を察しなければなりません。お金そのものは悪ではなく、単に交換の手段ですが、金持ちになりたいと思うなら、「誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります」(Ⅰテモ6:9)と聖書は語ります。富は、もっと欲しいと思わせるわななのです。

私たちは富ではなく「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求め」なければなりません(11節)。これらの徳を追い求め、神に祈り求めるなら、神は私たちの品性を養い育ててくださいます。そして主にある深い満足を手にします。