第二次世界大戦中のこと。その牧師は寝付けませんでした。戦死した仲間を埋葬してほしいと数名の兵士たちがやって来たのですが、教会墓地に埋葬するのは教会員だけだと答えました。すると彼らは、友人を墓地の柵の外に葬りました。しかし、翌朝、仲間の墓が柵の外にありません。牧師は言いました。「ここです。昨日言ったことを後悔したので、深夜に起きて、柵を動かしたのです。」

様々な問題の解決も、神に求めるなら、新鮮な見解が与えられるかもしれません。抑圧された神の民に対する預言者イザヤの預言もそういうことでした。祖先たちを紅海で救われたように救ってほしいと過去に執着するのではなく、神が新しい奇跡で新しい道を切り開かれることを見よと語りました。神は「昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする」(イザ43:18-19)と言われました。また「わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ」と述べられました。神は疑念や葛藤と戦うときの希望の源です(20節)。

視点が新たにされると、新しい方向性が見えてきます。新しい目で、神の新しい道を見ることができますように。そして、神に従い、新しい道を勇敢に進んでいけますように。