プリスの父は牧師でしたが、神の求めに応じて一家で辺境の地に行き、以前は家畜小屋だった廃屋に住みました。幼い頃、藁ぶき屋根から雨水がこぼれ落ちる中、床に座ってクリスマスの賛美をささげたと言います。父は「貧しいからといって、神に愛されていないわけではないよ」と語りました。

祝福された人生とは健康で不足の無いことだという人もいます。それなら困難の中では、神の愛を失ったかと不安になるかもしれません。しかし、ローマ人への手紙8章は、患難、苦しみ、迫害、飢え(35節)、その他の何ものもイエスの愛から私たちを引き離せないと断言します。実はこれが、祝福された人生の基盤です。

神は愛を伝えるために御子イエスを天から下されました。私たちの罪を贖って死ぬためです(32節)。そして、イエスはよみがえり、今は「神の右の座」で、私たちのためにとりなしておられます(34節)。

この真理を握りしめましょう。「死も、いのちも、…どんな被造物も」(38-39節)、私たちを主の愛から引き離すことはできません。難題山積だったとしても、共におられる神から、私たちを引き離すことは、誰にもできません。