一日近づく
クリスマスが終わると疲れます。そして今度は新年の準備に追われます。クリスマス前のわくわく感は、遠い日の出来事のようです。
黄金に勝るもの
金を求めてゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに向かったエドワード・ジャクソンの1948年5月20日の日記は、病いと死と隣り合わせの苛酷な旅を記しています。「私の骨を置いていかないでほしい。できることなら故郷の土に還りたい」また、「これほどの賭けはない……誰にも勧められない」と書き送ったのは、ジョン・ウォーカーでした。
ライオン、小羊、救い主!
ニューヨーク公共図書館の入口に2体の堂々としたライオンの大理石像が、1911年の竣工時から立っています。元々の名は図書館の創立者にちなみ、レオ・レノックスとレオ・アスターでしたが、大恐慌時代に市長のフィオレロ・ラガーディアによって、不屈の精神を意味するフォーティチュードと忍耐を意味するペイシェンスに改名されました。それが当時を生き抜くために必要だと考えたのです。
偉大な知恵
教父と慕われたヨハネス・クリュソストモスは、人を霊的にケアすることの複雑さについて「牧会者にはあらゆる角度からたましいの状態を検証できる偉大な知恵と千の目が必要だ」と述べました。心癒やされよと強制することは誰に対してもできないので、手を差し伸べるには、大きな共感と思いやりが必要です。しかし、それは痛みを伴ってはならないという意味ではないと言います。「深い部分を手術すべき人を大目に見て浅くしかメスを入れないなら、がんを見逃してしまうかもしれない。一方、どんなに必要なメスであっても、情け容赦なく切り込めば、患者は苦痛に耐えかねて全てを捨て……身を投げてしまうかもしれない」。
神の右の手
飼い犬2頭と散歩をしていて、高齢のほうを抱き上げようとして若いほうのリードを地面に置きました。そして、再びつかもうとしたとき、犬は突然、私の指をリードに引っ掛けたまま、ウサギを見つけて走り出したのです。指の痛みは地べたに転がって悶絶するほどでした。
和解
サイモンとジェフリーの関係は、長年、崩れたままでした。サイモンは関係を修復しようと試みましたが、ジェフリーは受け入れませんでした。しかし、ジェフリーが母を亡くしたと聞くとサイモンは遠方から葬儀に駆け付けました。サイモンは二人の再会について語ります。「どういうことになるか想像もできませんでしたが、葬儀の後、心を開いて実のある会話ができました。私たちはハグをして言葉を交わし、祈り、再会の約束をしました」。もっと早くに仲直りをしていたら、もっと早く楽になっていたかもしれません。
クリスマスの子
想像してください。種から森を造ったお方が、ご自分の生命を胎芽から始めました。満天の星を造ったお方が、人の胎に入り、超音波画像の小さな豆粒で始まる存在になりました。神であるイエスが「ご自分を無に」(ピリ2:6-7)されました。なんという驚きでしょう。
平和の君
ジョンは風邪から肺炎を発症し入院しました。母はがんの治療のために同じ病棟の上階の部屋にいます。ジョンの心は不安で押しつぶされそうでした。そしてクリスマスイブ。ラジオから流れる「さやかに星はきらめき」を聴きながら、彼は神の深い平安に包まれました。愛する救い主が降誕された夜について語る歌詞に聞き入りました。「あたらしき朝はきたり さかえある日はのぼる」そのとき、ジョンの不安は消え去りました。
いかにして知らせるか
タイの北部に「集まり」という名前の超教派の教会があります。この前の日曜日は、韓国、ガーナ、パキスタン、中国、バングラデシュ、米国、フィリピンなどのキリスト者が、安いホテルの会議室で礼拝しました。そして「キリストのみで」「私は神の子」を共に歌いました。その歌詞はこの状況下では特に感動的でした。