牧師がひざまずいて「神よ、私たちを覚えていてください」と祈ると、会衆も「主よ、私たちを覚えていてください」と続きました。このアフリカの教会の光景をネットで見ていて、涙がこぼれました。これは最近の礼拝でしたが、昔、教会で同じ光景を見ました。私は子どもだったので、神さまも忘れてしまうことがあるのだと誤解したのです。しかし、神は全てをご存じで(詩147:5、Ⅰヨハ3:20)、私たちに常に目を留め(詩33:13-15)、このうえなく愛してくださいます(エペ3:17-19)。
そればかりか、「覚える」を意味するヘブル語を見ると「~の代わりに行動する」という意味もあります。神は「ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた」ので「地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始め」ました(創8:1)。神は不妊のラケルを「覚えておられた」ので、神は「彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれ」ました。彼女はみごもって男の子を産みました(30:22-23)。
私たちを覚えていてくださいと祈ることは、信頼に裏打ちされた素晴らしい嘆願です。どのような形で応答されるかは、神がお決めになることですが、へりくだって乞う願いにお応えくださると確信しつつ、私たちは祈ることができます。
神に覚えていただくべきときはいつですか。そのためにすすんで祈ることができますか。
天の父なる神よ、自分が神に覚えられていることを、もっと分かるようにしてください。人生の大切な局面で、私を覚えていてください。