スクラブルという手元の文字を組み合わせて英単語を作っていくゲームが好きです。友人たちが、私の名前にちなんでKATARA(カタラ)と名付けた打ち手があります。最下位だった私が、最後に7文字の単語を作って大逆転したときの打ち手です。以来、このゲームをするたびに、負けている人は当時を思い出し、KATARAの手番に希望を託します。
思い出すことは、人を元気にしたり、希望をくれたりします。イスラエルの過越祭は、そういう目的です。エジプトの奴隷として迫害されていた先祖たちを救われた神の御業を記念して祭りをするのです(出1:6-14)。当時、神は、助けを求める声に答えてくださいました。そして、エジプトの地の人や家畜の長子が「滅ぼす者」の手に落ちました。しかし、「滅ぼす者」は、神の命令に従って門柱に血を塗ったイスラエルの家を過ぎ越して行ったのです(12:12-13)。彼らの命は守られました。
歴史は下り、キリスト者は定期的に聖餐式をするようになりました。自分たちを罪と死から解放してくださったイエスの十字架の犠牲を覚えてそれを行うのです(Ⅰコリ11:23-26)。歴史に現された神の慈しみを記念する行為は、今の私たちの人生に希望を与えてくれます。
神が犠牲になってくださったことをどのように祝いますか。過去の経験を踏まえて、どのように人を元気づけますか。
愛する神よ、私のために成された全ての御業に感謝します。頑張り続ける希望が必要なとき、あなたに集中する力をください。