共通の友人がいると初対面の人でも親しみを感じます。「○○さんのお友だちですか。友だちの友だちは皆友だち、と言いますから、私たちももう友だちですね」と気さくに声をかけられたら、受け入れられているように感じるでしょう。

イエスも似たようなことを言われました。癒やしの御業に感動した群衆がイエスを取り囲む一方で、宗教指導者たちは主を敵視しました。神殿を利得の場にし、権力を乱用していると、非難されたからです。緊張が高まる中、イエスは、神の臨在に伴う喜び、犠牲、不思議を倍増させる行動に出られました。弟子たちに人を癒やす力を与えて送り出し、神の国は近いと宣べ伝えさせたのです。イエスは弟子たちに「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ」(マタ10:40)、ひいては、イエスを地上に送った天の御父を受け入れる人なのだと語られました。

ご自分の弟子を家に入れたり、それができなくても、せめて1杯の冷たい水を与えたりするなら、みこころの中にその人の居場所を作ると、イエスは確約されました。これ以上に人生を変える友情はないでしょう。これは昔の出来事ですが、現代にも通じています。親切な行いやもてなしの中に、神の友の友として互いを歓迎し合う形があります。このイエスのみことばは、そのことを表しています。