Month: 6月 2022

焦点を神に

婚約指輪を探していたとき、彼女に最高と思ってもらえるものを選べなかったらと不安で、なかなか決断できませんでした。経済心理学者のバリー・シュワルツによると、この優柔不断さは、私が「追求者」と呼ばれるタイプだからだそうです。対照的なタイプは、「満足者」と呼ばれます。「満足者」は必要が賄われさえすれば十分ですが、「追求者」は一番良いものを求めないと気が済まず、決断をちゅうちょします。選択肢が多くなると、不安、うつ、不満をもたらしかねません。実際、「取り残される不安」という社会現象に言及する学者もいます。

希望の虹

旅行に出かけたのに最初の数日間は持病の痛みのために部屋にいました。気分は冬空のようにどんよりしています。近くの灯台を見物しようと夫婦でやっと外出できたときも、目に映ったのは灰色の景色でした。それでも私は、曇り空と影のある山々の写真を何枚か撮りました。その夜、土砂降りでどこにも行けないことに落胆しながら、撮った写真に目を通していると、何と「虹」が写っています。私は己の憂鬱(うつ)さばかりに気を取られ、疲れた心を癒やそうとされる神の希望の御業を見逃していたのです(創9:13-16)。

聖別される

イギリスのスタッフォードシャーで、1742年11月、チャールズ・ウェスレーの説教に対して騒動が起こりました。チャールズとジョンというウェスレー兄弟の行動は、教会の伝統を壊しているかに見えたので、許容し難いと感じる人々がいたのです。

無謀なまでの寛大さ

69歳のブレンダ・ジョーンズが生体肝移植の登録をして以来、1年以上が経っていました。移植が間に合わないかもしれない、という不安な日々を過ごす彼女のもとに、適合するドナーが現れたという知らせが来ました。しかし喜びもつかの間、移植を待つ別の女性が、生死をさまよっていることを知ったのです。その女性がまだ23歳だと聞き、ブレンダは自分の身を顧みず、移植の順番を譲りました。「その若い女性をそのまま死なせていたら、移植は一生の汚点となっていたでしょう」とブレンダは言います。幸い、ブレンダにも別のドナーが見つかり、2人とも必要な移植を受けることができました。

己を顧みず自分を差し出す人には、誰もが驚きます。だからこそ、自分を殺そうとした人々のために命をささげ、何のお返しもできない私たちに惜しみなく赦しを与えたイエスの話を、人はにわかに信じられないのです。これこそ、無謀なまでの寛大さを伝える究極の物語です。これほどの寛大さは、人の理解を超えています。

そんなイエスに従い、その生き方に倣って生きるようにと、イエスが繰り返し促されることに、私たちは戸惑います。しかし聖書は、イエスのように、人のために自分の人生を謙虚にささげなさい(ピリピ2:1-11)、寛大な心で愛しなさい(ヨハネ15:9-17)、と随所で私たちに求めます。このような呼びかけに答えるとは、お金も時間も余裕のない中で与えることを意味するでしょう。自分の評判や将来設計について、完全に主に明け渡すことにもなるでしょう。不可能に思えるかもしれませんが、勇気を振り絞ってイエスに従うとき、私たちは無謀なまでの寛大な人生へと踏み出せるのです。

デイリーブレッド寄稿者Winn Collier

神は私たちにいのちと赦しをはじめあらゆる恵みを与えて、驚くべき寛大さを示してくださいました。今月は、神と人の前で寛大に生きるとはどういうことかを考えてみました。このトピックは、6 月181522 日のエッセーでも取り上げています。

父の日の黙想 お父さんと子どもたちへの福音

「父の日」に何か特別な計画はありますか。この機会にあなたの地上の父、そして天におられる真の父に心を向けてみませんか。

愛から与える

グレンは毎朝、近くのドライブスルーでコーヒーを買い、すぐ後ろの車の人の代金も払って、レジ係に「どうぞ良い1日を!」と、その人に伝えてほしいと頼みます。そうする義理はないし、相手の反応も分かりません。ただ、この小さな親切が「自分にできる最低限のこと」と信じているのです。しかしある時、地元の新聞に載った匿名の投書を読んでその行為の影響力を知りました。2017年7月18日、彼の心優しい贈り物によって、自分の命を絶とうとしていた人が、それを思いとどまったというのです。