私はため息をつきました。友人と互いの子どものことで意見がぶつかり、和解が必要でした。電話をかけなければと思うのですが、両者の見解はまだ一致しておらず、気が進みません。しかし、私の態度が親切さや謙虚さに欠けていたのは確かでした。仲直りしてもらえなかったらどうしようと心配でした。しかしその時、ある歌の歌詞が思い浮かび、昔の記憶がよみがえりました。以前、神に罪を告白した時のことです。私は、神が赦してくださったと分かって、罪悪感から自由になったのでした。
人間関係の問題を解決しようと試みても、相手の反応をコントロールすることはできません。しかし、謙遜に赦しを乞い、改めるべきことを改めるという自分の責任を果たすなら、後は神に委ねればよいのです。たとえ、壊れた人間関係の痛みに耐えなければならなかったとしても、神の平安に満たされることは可能です。神の御腕は開かれており、私たちをあわれんでくださいます。聖書は「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(Ⅰヨハ1:9)と述べています。
謝罪と赦しは、どのように平安を生みますか。和解が必要な状況に対して、今日、神の御力によってどんな一歩を踏み出しますか。