ポットローストを作るとき、まず肉の塊を半分に切るので、夫がその理由を尋ねました。すると、妻は「お母さんが、いつもそうしていたから」と答えましたが、なぜかしらと好奇心が湧いたので、母親に聞いてみました。すると、驚いたことに、鍋が小さかったから、という理由でした。娘は大きな鍋を持っていたので、肉を切る必要はなかったのです。

多くの伝統や風習は、元々はいわれのあるものです。しかし、その後は、疑問の余地なく、人々に受け継がれてきました。そういう流れはよくあることなので、イエスの時代のパリサイ人たちもそうしていたのです。ですから、彼らは「昔の人の言い伝え」が破られているのを見て気分を害しました(マコ7:1-5)。

するとイエスは「あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです」と言われました(8節)。主は、「私たちの流儀」は聖書の知恵に代わるものではないと示されたのです。純粋に神に従いたいと思うなら(6-7節)、うわべだけの行いではなく、自分の心に焦点を合わせるべきです。

「クリスチャンならこうあるべき」と信じて大切に守っている「流儀」を、常に再評価するという態度は賢明です。神が本当に必要だと啓示されたことは、どんな時でも自分たちの伝統に取って代わるべきです。