ある大学の水泳選手はオリンピックを目指していましたが、タイムが上がらなくて不安でした。しかし、数学の教授、ケン・オノが彼女の泳ぎを観察して、タイムを6秒縮める方法を考えました。6秒とはオリンピックを目指すレベルでは相当な違いです。彼は選手の背中にセンサーをつけましたが、彼女の泳ぎを大きく変えるのではなく、小さな矯正をすれば、より効率的な水中の動作が可能になると明らかにしました。

信仰に関しても小さな矯正が大きな躍進につながります。預言者ゼカリヤも帰還後の神殿の再建を担うゼルバベルと心の折れたユダの残りの民に同様の原則を教えました。「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる」と(ゼカ4:6)。

ゼカリヤは「だれが、その日を小さなこととして蔑むのか」と宣(の)べました(10節)。捕囚から帰った民たちは、その神殿がソロモン王の時代に築かれたものとは比べ物にならないことを心配しました。しかし、数学者オノが指摘する小さな矯正を受け入れることで、オリンピックでメダルを勝ち取った水泳選手のように、ゼルバベルと共に神殿建設をした人たちも、神のもとで小さくとも正しい行いをするなら勝利の喜びを手にすると学びました。神の霊によって小さいことが偉大なことに変えられます。