実家のガレージには、いくつもの思い出があります。少年時代の最高の思い出の一つは、ただで入手したゴーカートの修理です。父と一緒にタイヤを交換し、カッコいいプラスチック製のフロントガラスを装着しました。そして、父に見守られて実家の駐車スペースを走ったものです。今振り返ると、ガレージで行われていたのは、単なる修理ではありません。父が息子を教育していたのです。それは神の働きに似ていました。

人類は、神の性質を写しています(創1:27-28)。親が子を育てることも、神が人を育てることに発しています。神は「天と地にあるすべての家族の、『家族』という呼び名の元である御父」(エペ3:14-15)だからです。親は、神が生き物に命を与えられたことに倣うかのように、子どもを世に送り出します。子を養い守る親の特性の根本は、親自身ではなく、神にあり、子育ての模範も神にあります。

私の父は完璧な親ではありません。どんな親も神を完全に模倣できないので、私の父も時には失敗しました。しかし、神に倣うことができた多くの時、私は神の養いと守りの一端を垣間見たのです。それがガレージでゴーカートを修理していた時の思い出です。