融雪剤のせいで車がひどく汚れたので洗車場に向かいましたが、多くの人が同じことをしたようです。そこは長蛇の列でした。しかし、待っただけのことはありました。車はピカピカ、長く待たせたおわびにと、代金は無料でした。
代価を払わずに洗ってもらう。それはイエス・キリストの福音です。イエスの死と復活を通して、私たちは神に赦(ゆる)されました。自分は汚れていると感じない人がいるでしょうか。身勝手な言動で人を傷つけたり、自分で自分を傷つけたり、神の前に平安だと言えなかったりすると、そう思うでしょう。詩篇51篇は誘惑に負けてしまったダビデの叫びです。預言者ナタンに罪を指摘された時(Ⅱサム12章参照)、ダビデは「私を洗ってください」と祈りました。「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば 私は雪よりも白くなります」(詩51:7)
後ろめたいことがありますか。汚い自分が見えますか。イエスのもとに来て、次のことばを聞いてください。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(Ⅰヨハ1:9)
あなたが「私を洗ってください」と神に叫ぶとしたら、それはどういう意味ですか。神がイエスゆえに、無償で赦し、きよめてあげようと言われるのに、「はい」と言えないのはなぜですか。
神よ、あなたは私の人生のシミや汚れをご存じです。私を洗ってください。赦してください。あなたを敬愛できるように助けてください。