ある冬の朝、ブラインドを開けて驚きました。霧の壁です。天気予報によると、それは「着氷性の霧」というものです。この地域ではまれですが、さらなる驚きは、1時間後には晴天という予報でした。私は夫に「あり得ない。一寸先も見えないのに」と言いました。しかし、1時間も経たないうちに霧は晴れ、澄んだ青空になりました。

私は窓際で、自分の人生が霧に包まれた時の信仰を考えました。そして、自分は目に見えていることに対してだけ、神を信頼しているのだろうかと夫に尋ねました。

ユダの王ウジヤが亡くなり、腐敗した支配者たちが国の権力を握った時、預言者イザヤは似たような問いかけをしました。誰が信じられるのかと。神は驚くような幻でこの問いに応えられました。イザヤはその幻によって、神を信頼すれば、より良い未来が待っているので大丈夫だと確信できました。そして「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」(イザ26:3)と述べ、「いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから」(4節)と賛美しました。

自分の思考が神に集中しているなら、霧に包まれた混乱の中でも、神を信頼できます。今はっきりと見えなくても、神を信頼するなら、神の助けがやって来ると安心できます。