夫は光の方に行こうと言いました。日曜日の午後、都会の大きな病院に入院している友人を見舞ったのですが、構内で迷子になりました。休日の病院に人影はありません。薄暗い廊下をウロウロしていると、やっと人に会いました。その人は途方に暮れている私たちに「廊下はどれも似ていますが、出口はこちらです」と教えてくれました。指示どおりに行くと出口が見つかり、やっと明るい場所に出られました。
イエスはご自分についてきて心の闇から脱出しなさいと、混乱し迷っている人々を招かれました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」(ヨハ8:12)
私たちはイエスの光の中で、己のつまずきの石、罪、盲点を見せられます。そうした心の闇を取り除いてくださいと祈らせるために、イエスは私たちの心と行くべき道を照らしてくださいます。キリストの光は、イスラエルの民を荒野で導いた火の柱のように、私たちを神の臨在、守り、教えに導いてくれます。
使徒ヨハネが語っているように、イエスは「まことの光」で(ヨハ1:9)、「闇はこれに打ち勝たなかった」(5節)のです。あちらこちらとさまよわずに、行くべき道をイエスに尋ねましょう。イエスが人生の道を照らしてくださいます。
キリストのきよめの光が必要なのは、あなたのどの部分ですか。キリストの光を求めて、避けたいと思うつまずきの石は何ですか。
イエスよ、闇の世を生きる私の心に、私の進む道に、あなたのまことの光を照らしてください。