英国で3月のある週末、修養会の講師をしました。テーマはマリアとマルタ。イエスがラザロと共に愛されたベタニアの姉妹です(ヨハ11:5)。私たちは予期せぬ雪で足止めされました。海沿いの辺ぴな場所です。しかし、参加者の多くは共に過ごした延泊の1日は、キリストの足元にいたマリアのような体験だったと言いました。彼らは「必要な一つのこと」(ルカ10:42)を追い求めたのです。それは主がマルタに優しく諭されたことでした。
それは予告無しの訪問だったでしょう。ですから、客をもてなす手伝いをしないマリアにマルタが腹を立てたことは理解できます。しかし、彼女はここで最も大切なことから逸脱しそうになりました。それはイエスに教えてもらうことです。イエスはマルタのもてなしたいという気持ちを叱ってはおられません。ただ、一番大切なことを見逃してはいけないと念を押されたのです。
次々割り込む用事にいら立ったり、すべきことが多すぎて圧倒されたりするとき、いったん立ち止まり、何が最も大切かと問いかけましょう。少しペースを落としてイエスの足元に座っている自分を想像し、主の愛といのちで満たしてくださいと願うなら、私たちはイエスの愛弟子である事実を大いに喜ぶことでしょう。
マルタとマリアってどんな人?
今月のトピック「イエスにあって共に成長する」を読みましょう。