友だちとウォーターパークに行き、浮き板の障害物コースに挑戦しました。浮き板は滑りやすく踏み込むと弾みがついて、まっすぐに歩けません。よろめきながら坂や崖、橋などを通っていく途中で無残にも水に落ちて大声をあげました。一つのコースを渡り切って疲れ果てた友人が一息つこうと「塔」に寄りかかった瞬間、その重みで「塔」はゆがみ、彼女は勢いよく水に放り出されました。

ウォーターパークのちゃちな塔と違い、聖書の時代の塔は町を守る要塞(ようさい)でした。士師記は、アビメレクに襲われたテベツの人々が「強い塔」に逃げ込んだと語ります(9:50-51)。箴言の著者は、強靭(きょうじん)な塔の比喩を用いて、神はご自分に頼る人を救うお方だと述べました(18:10)。

しかし、疲れたり落ち込んだりしたとき、私たちは、神という強い塔ではなく、経歴や人間関係、物や趣味など、別のものに慰めを求めてしまいがちです。「富む者の財産はその堅固な城」(11節)と語られているように。しかし、エアー遊具の塔が友人を支えられなかったように、そういうものは私たちの必要を満たしてくれません。神は全ての状況を支配する最強のお方です。このお方が真の安らぎと安心を下さいます。