医者が赤ん坊グラハムの耳に初めて補聴器をつけました。彼は嫌がって大泣きしましたが、電源が入ると間もなく泣きやみ、目を丸くしてにっこり笑いました。自分の名前を呼んであやす母の声が聞こえたのです。しかし、その声の主が他の誰でもない母だと聞き分け、その言葉の意味を理解するようになるためには、まだ少し学習が必要でした。

イエスを信じる人たちも、これと似た学習が期待されています。キリストを救い主として迎え入れると、その人は主の羊となります。主は羊たちをよくご存じで、各々の名前を呼んで導かれます(ヨハ10:3)。私たちは、神の声を認識し、みことばに注意を払い、それを重ねることで神に対する信頼と従順を実践します(4節)。

旧約聖書では、神は預言者を通して、新約聖書では、受肉された神、すなわちイエスが直接、皆に語られました。そして、今は聖霊の助けがあります。神のみことばは、霊感によって記録され聖書となりました。聖霊は私たちがみことばを理解し、従えるように助けてくださいます。私たちは祈りによってイエスに自分のことを伝え、神は聖書や信仰の仲間を通して私たちに語ってくださいます。みことばと合致していると、神の声だと認識できます。私たちは感謝の心で「神よ、あなたの声です!」と叫びます。