ルビーの靴のかかとを鳴らしながら「オズの魔法使い」の主人公ドロシーは、「おうちほどいい場所はない」と言いました。その一言で、ドロシーと犬のトトはオズから家にあっと言う間に帰り着きました。
残念ながら、ルビーの靴は皆にありません。多くの人がドロシーに共感しますが、自分の居場所を見つけることは、実は「言うに易く行うは難し」です。
急速な世の中の変化と、住む場所や職場が数年単位で変わる状況は、自分が本当に属している場所はどこだろうと感じさせます。しかし、これはもっと深い現実の投影かもしれません。C・S・ルイスは「この世界のどんな経験によっても満たされない願望が私の心にあるなら、それは恐らく、私は別の世界のために造られた、ということなのだろう」と述べています。
十字架の前夜、イエスは「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか」(ヨハ14:2)と言われました。そこは、私たちが歓迎され、愛される家です。
一方、私たちは既に家にいることもできます。イエスを信じる人々と共に生きる共同体、神の教会です。憧れの我が家に導かれるその日まで、私たちはイエスの平安と喜びの中で生きることができます。主と共にいれば、そこがいつでも我が家です。
ここが我が家と感じさせるものは何ですか、それはなぜですか。イエスと過ごす永遠の家の存在は、今の人生にどう役立ちますか。